ALWAYS 三丁目の夕日 《下町質屋編》

 ALWAYS 三丁目の夕日では、
昭和33年の東京下町が舞台でしたが、
その頃は私もまだ生まれていないので
今回は昭和50年くらいのお話です。
当時の質草としては、
電化製品、着物、腕時計、宝石・貴金属などがありました。
一番多かったのは電化製品で、
次に多いのは着物ですが
着物もこの頃には減ってきている最中だったそうです。
腕時計は、今のようにロレックスやオメガや
ブライトリングやIWCなどの舶来時計が主流ではなく、
セイコーやシチズンなどの国産時計が多い時代でした。
エルメス、シャネル、ルイ・ヴィトンのような
ブランドバッグはあまり流通していませんでした。
なぜかと言うと、
国内にブランドバッグのブティックもなかったですし、
海外旅行へ行く人の数も少なかったので、
なかなかブランドバッグを
持っている人もいなかったからです。
その当時の質屋では、
一番忙しい時期というのは年末でした。
なぜ年末は忙しいのでしょうか?
お正月は一年のスタートの日でもあり、
日本人にとっての特別な日でもあります。
そんなお正月に着る着物や電化製品を
12月中に受け出して、
正月にはすべてそろえて過ごしたいという心理から
質屋の年末は品物を受け出すお客様で
賑わっていたようです。
当時の質料システムも現在とは違い、
当時は歴月で計算していました。
歴月計算ではその月の末日が期限になります。
預けた日が月末でなくても
すべてのお客様の期日は月末になります。
その為、月末は受け出しで忙しく、
中でも年末は特に忙しくなったそうです。
預かり金額も1万円以下の小額が多かったのも
忙しさの要因です。

当時はコンビニもなかったので
正月三が日は開いているお店がありませんでした。
正月の3日間は、年末に買っておいたお餅を
毎日食べていた記憶があります。
そんな時代背景にも
年末が忙しかった理由になっています。