中日新聞の「なごや地名物語Vol18」で名古屋市東区・車道の記事がありました。
江戸時代、建中寺の葬式では、供養を兼ねて、裏門からいろいろなものを運んでいた。
この道筋であったことから町名が名付けられたという。
また別の説として、二代尾張藩主・徳川光友の命により御曽田屋敷を造営する際に、東山付近から石や樹木を運ぶのに車が往来した道筋だったというものも。
さらに『小栗判官物語』の主人公、小栗判官を乗せた車が通ったためという説もある。
戦災を逃れた町には連小窓や商店街など歴史ある街並みがある一方で、現在は交通整備もされ、ビジネス街としても栄えている。
子供の頃に祖母から聞いた話ですが、
第二次大戦の名古屋空襲の時には
東区も爆弾が落とされたそうです。
東に逃げるか西に逃げるか迷った時に
祖母は第六感で西に逃げたそうです。
もしも東に逃げていたら生きていなかったかもという話を聞きました。
戦争の生々しい話はあまり聞きませんでしたが、
その時の話は凄く印象に残っています。
建中寺が名古屋空襲を免れたのは奇跡的でした。
車道という町はそういった時代を乗り越えて
時代とともに進化してきたんですね。
昔は名古屋の東に位置するから東区だった訳ですが、
名古屋市が広がったために名古屋の中心部になりました。
一時期は区画整理で人口も減少していましたが、
最近はマンション建設も多く人口も増加しています。
引っ越しをお考えの方には良い町だと思います。
筒井小学校もあずま中学絞も小規模ですが良い学校ですよ。
引っ越しといえば、不用品も出てきます。
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このブログでは書けませんが、あずま中あるあるも
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