社名が質のヤマカワになった理由

ちょっと前のニュースになりますが、
IT大手の日本ユニシスが、
社名を2022年4月1日付で
「BIPROGY(ビプロジー)」に変更すると発表しました。
日本ユニシスと言えば、
東証一部上場企業の大企業ですが、
社名を変更するというのはかなり大きな決断だと思います。
元々は、米国企業のユニシスの
日本法人的な役割をしていた会社でしたが、
2006年には資本関係を解消し、
独立した企業として今日まで営業をしてきました。
日本ではそれなりの知名度がありますが、
世界を相手にする企業としては、
アメリカのユニシスと社名が被るのは
世界戦略的に動きにくいので
社名変更に踏み切ったのではないでしょうか。
先程、日本での知名度は高いと言いましたが、
IT企業はBtoBの企業ですから
一般の消費者にはあまり知られていないかもしれません。
一般で知られているというと、
バドミントン部が有名です。
リオで金メダルだった奥原希望選手も
日本ユニシスのバドミントン部です。
先日放送していた「ドラゴン桜」でも
日本ユニシス実業団バドミントン部として
実名で出ていました。

 社名変更と言えば、
規模がだいぶ違いますが当店も社名変更しています。

ということで
今日は、質のヤマカワの歴史についてお話します。
私は質のヤマカワの三代目になります。
ことわざ「三代目は、身上(しんしょう)を潰す」と
ならないように日々精進しております。
初代は私の祖母が昭和28年に質屋として創業しました。
当時の屋号は「㈱二川屋(ふたがわや)」でした。
元々我が家は、祖父が豆腐屋を営んでいました。
その時に祖母は他の質屋さんでお手伝いしていました。
そして、祖母が自分で商売を始めたいというところから
質屋を始めたのがきっかけです。
当時の質草としては、
衣類や着物が多く、
金額も少額融資がほとんどだったそうです。
そして、昭和37年に私の父が
質屋とは別で販売店を始めました。
販売商品としては、
中古の電化製品や宝石・貴金属が多かったようです。
その後、私の母が平成3年に
二代目として祖母から受け継ぎました。
その時に社名を㈱質のヤマカワに変更しました。
本当は「山川質店」という社名にしようと思ったのですが、
「質のヤマカワ」という社名になりました。
それはなぜかと言うと、
当時は電話帳広告が一番認知度の高い広告でした。
その電話帳の掲載順位は、
五十音順に掲載するので
「や」で始まる屋号だと掲載順位が下がってしまうので、
順位を上げる為に「し」で始まる質のヤマカワにしたんです。
引越し屋さんで
「アート」や「アーク」などの社名が多いのと同じ理由です。
当時の質草としては、
電化製品や宝石・貴金属が多く、
まだブランドバッグは主流ではありませんでした。
そして、平成19年から
三代目である私と妻が主に経営をしています。
このような流れで現在に至っているのです。

当店は平成15年に店舗をリニューアルオープンして
明るく入りやすいお店にしました。
そして、女性スタッフが常駐しているので
女性客にも安心してご来店頂ける環境になっています。
アクセスは、地下鉄桜通線「車道」駅1番出口から
北へ100mの立地です。
駐車場も完備しています。
是非一度ご来店をお待ちしております。