![社名が質のヤマカワになった理由](https://yamakawa78.com/wp-content/uploads/2021/12/unisys-a.jpg)
ちょっと前のニュースになりますが、
IT大手の日本ユニシスが、
社名を2022年4月1日付で
「BIPROGY(ビプロジー)」に変更すると発表しました。
日本ユニシスと言えば、
東証一部上場企業の大企業ですが、
社名を変更するというのはかなり大きな決断だと思います。
元々は、米国企業のユニシスの
日本法人的な役割をしていた会社でしたが、
2006年には資本関係を解消し、
独立した企業として今日まで営業をしてきました。
日本ではそれなりの知名度がありますが、
世界を相手にする企業としては、
アメリカのユニシスと社名が被るのは
世界戦略的に動きにくいので
社名変更に踏み切ったのではないでしょうか。
先程、日本での知名度は高いと言いましたが、
IT企業はBtoBの企業ですから
一般の消費者にはあまり知られていないかもしれません。
一般で知られているというと、
バドミントン部が有名です。
リオで金メダルだった奥原希望選手も
日本ユニシスのバドミントン部です。
先日放送していた「ドラゴン桜」でも
日本ユニシス実業団バドミントン部として
実名で出ていました。
社名変更と言えば、
規模がだいぶ違いますが当店も社名変更しています。
![](https://yamakawa78.com/wp-content/uploads/2021/12/yamalogo-a.jpg)
ということで
今日は、質のヤマカワの歴史についてお話します。
私は質のヤマカワの三代目になります。
ことわざ「三代目は、身上(しんしょう)を潰す」と
ならないように日々精進しております。
初代は私の祖母が昭和28年に質屋として創業しました。
当時の屋号は「㈱二川屋(ふたがわや)」でした。
元々我が家は、祖父が豆腐屋を営んでいました。
その時に祖母は他の質屋さんでお手伝いしていました。
そして、祖母が自分で商売を始めたいというところから
質屋を始めたのがきっかけです。
当時の質草としては、
衣類や着物が多く、
金額も少額融資がほとんどだったそうです。
そして、昭和37年に私の父が
質屋とは別で販売店を始めました。
販売商品としては、
中古の電化製品や宝石・貴金属が多かったようです。
その後、私の母が平成3年に
二代目として祖母から受け継ぎました。
その時に社名を㈱質のヤマカワに変更しました。
本当は「山川質店」という社名にしようと思ったのですが、
「質のヤマカワ」という社名になりました。
それはなぜかと言うと、
当時は電話帳広告が一番認知度の高い広告でした。
その電話帳の掲載順位は、
五十音順に掲載するので
「や」で始まる屋号だと掲載順位が下がってしまうので、
順位を上げる為に「し」で始まる質のヤマカワにしたんです。
引越し屋さんで
「アート」や「アーク」などの社名が多いのと同じ理由です。
当時の質草としては、
電化製品や宝石・貴金属が多く、
まだブランドバッグは主流ではありませんでした。
そして、平成19年から
三代目である私と妻が主に経営をしています。
このような流れで現在に至っているのです。
![](https://yamakawa78.com/wp-content/uploads/2021/05/yamakawa-a.jpg)
当店は平成15年に店舗をリニューアルオープンして
明るく入りやすいお店にしました。
そして、女性スタッフが常駐しているので
女性客にも安心してご来店頂ける環境になっています。
アクセスは、地下鉄桜通線「車道」駅1番出口から
北へ100mの立地です。
駐車場も完備しています。
是非一度ご来店をお待ちしております。